【地区g】

〜 land for calm and diversity 〜
地区g、gはgroundのgです。
地区の中では、地下にあるエリアです。
地区dの地面のすぐ下から、地下深くの地区uへと続く、土地にまつわるエリア。
地区gでは、それら土地に関わることを書いていきます。







【地区g〜compost〜】

 2020.10.2

きゃー。

とうとう、コンポスト始めました!! やったー!!!

土の関係だし、ベランダでやっているし、【〜my little garden〜】に入れようか迷いましたが、経過をまとめて報告できた方がいいよな、と思って、別項を建てることにしました。

「コンポスト」というのは、堆肥のことです。土・土壌を豊かにしてくれる肥料のことです。
最近は、コンポストと言うと、この堆肥を自分で作ることや、堆肥を作る道具やキット自体のことを指したりもするみたいですね。
私は、堆肥を自分で作ること、という意味で「コンポスト」を使っています。

土地の仕事をするにあたって「土地を豊かにすること」が大事なのですが、概念的な意味だけでなく、本当に土地を、土壌を豊かにする、ということも含まれているなと感じていて、、だから、ぜひ小さな規模でも自分で取り組んでみたかった。

でもそういうのって、例えば生ゴミを使った発電=バイオマスを個人宅でやるとか、そのくらいしか選択肢がない、コンポストは農家さんにしかできないのかなと思い込んでいたんですよね。

それが、個人宅でも十分できるコンポストキットを、長年かかって開発してくださったところがあると知って。



その情報を得たのは、実は、地区でもご紹介している、ハチドリ電力からでした。

ハチドリ電力では、電気代の1%を、社会課題を解決しようとしている様々な団体に寄付することができるのですが、最初に私が選んだのが、循環生活研究所というところでした。
コンポストを使って、土を豊かにして、そこで野菜を作り、地産地消の循環を作り出す、それがコンセプトとのことでした。
これぞ、自分の土地を大事にする方法の一つ。素晴らしい!!

そして、何より、個人宅でもできる、見た目にも素敵なコンポストキットが存在するという事実に衝撃を受けました。

それほど安いものではないですが、挑戦したい。
いろいろ考えて、夏にようやく、コンポスト初心者用のガーデニングセットを購入。
(一回きりのガーデニングセットの他に、定期的にコンポストが持続できるセットもあります)

循環生活研究所が出している、LFCコンポストによる商品です。


早速やってみたかったのですが、家族から「生ゴミの仕分けが面倒だし、夏は生ゴミも腐りやすいから、秋からにしてほしい」という要望が入り、今まで待ちました。



中秋の名月の本日10月2日、ギンモクセイの鉢も花芽でふんわり香るなか、めでたくコンポストを開始!

ガーデニングセットには、コンポストのための布袋と、内側に敷く加工された紙袋、コンポストを効率よく勧めてくれる基材、コンポストが肥料として出来上がったときに足す土、ベビーリーフの種、説明書などが入っていました。

LFCコンポストから届いた中身一式。


設置場所は雨がかからない場所がいいということで、うちのベランダはひさしが深いので、その窓際に。

設置する袋の底の通気性も良い方がいいというので、家族が買ったまま使えていなかった押入れ用の台を組み立てました。ちょうど、上に乗せる板がすのこ状になっていたので。

ベランダに台と一緒に置いてみた。


布の袋の中に、紙袋を入れて、さらに基材一袋分をさらさら入れます。

基材を入れてみたあと。


それから、生ゴミを投入。

生ゴミの仕分け方も人それぞれだと思うのですが、うちでは、大きなジップロック(使用感がだいぶ進んでいるもの)の中に、排水口の水切り用のネットを入れて、その中に生ゴミをためることにしました。

野菜くずは、なるべく細かく切ってあった方がよいようです。

生ゴミを投入したら、シャベルでよく混ぜます。
シャベルは、袋の中に入れたままでいいそうです。(その方がかえって清潔らしい)

紙袋の上部を2、3回折って、クリップで2カ所止めます。
この紙袋は加工がしてあって、かなりしっかりしているので、クリップも頑丈なのが良さそうです。

文房具の引き出しの中から探してきた、分厚い文書をしっかり止められるものを使いました。

シャベルでよく混ぜて、
シャベルを中に入れたままにして、
クリップで止めたところ。


付属で、ベビーリーフの種が。

説明書にホッチキスされていたベビーリーフの種。



これがちゃんと収穫できるまで、頑張れるといいなぁ。

なんか、毎日入れて混ぜるという点では、ちょっと糠床に似ていますね。
今年の2月から始めた糠床ですが、日々、美味しいお漬物を作ってくれています。

今の世の中って、つながりも情報もオンラインがすべてのような気がしてしまうときがあるけど、こういう物質的なものに取り組んでいると、安心するんですよね。

現実はここだ、と思える。
私たちが食べている食物も、着ている洋服も、現実に作られて、私たちの身体を作っている。
そういうものに対して、もっと実感を持って生きていたいなと思います。






【地区g〜my little garden〜】

 2020.6.13

私のすぐ近くにある土地の話。

うちでは、家と塀の間にあるすごーく小さな庭と、2階のベランダとで、植物と暮らしています。

前のうちから連れてきたのも含めていろんなのがいるんですが、今日は、まだ種をまいたばかりの2つの植物の話を。
両方とも、今だから、種をまけたものたち。

この先のご縁は(植物が育ってくれるかどうかもにも多分よるので)分からないけれど、記念に記しておきます。



1つ目は、love.fútbolからいただいた、芝生の種。
love.fútbolは、「サッカーが好きな世界中のすべての子どもが安全にサッカーできる場所をつくろう」という想いで誕生したNGOだそうです。日本にも支部があり、世界の各地でグラウンドを実現しています。
私は先日、そちらのマンスリーサポーターにならせていただきました。
たとえどんなときも払いつづけられる金額にしたので、本当に少額なのですが、ずっと、支援ができたらいいと思っています。

自分が何にお金を使うべきかについて、最近はとても考える機会が多いです。
地区mで書いたハチドリ電力に端を発したエネルギー=エコロジーの件しかり。
こういうチャンスをもらったことに、とても感謝しています。

私がlove.fútbolへの支援を決めたのは、サッカーが好きだから、という理由だけではありません。
サッカーは世界の共通言語として機能できるスポーツなので、単にサッカーのプレーが好きなだけでなく、そういう意味でもサッカーのことがとても好きですが、今回の決断のための最も大事な理由となったのは、各地域の土地が持つ問題を解決できるプロジェクトだから、でした。

子どもたちが安全な場所でサッカーをできるようになる、という課題には、とても多くの社会的な問題を解決する力がある。
そのことを、love.fútbolのサイトなどで知ることができました。

そして、この新型コロナウィルスの状況下においても、love.fútbolが現地での支援を実現できている、ということを、現地の方々との映像を繋ぐ形で、教えていただくことができた。
とても貴重な機会であり、とても希望の持てる体験でした。

さて、そんな決断をして、ほっとしていたら、入会記念グッズが届きました。
いろいろ!

love.fútbol Japanから届いたグッズ各種。


ステッカーでしょ。
love.fútbolのロゴ、私好きなんですよね(世界共通です)。
団体名の左端と右端の「l(エル)」の文字が、四角いグラウンドと思しきものの両端に配置されていて、ちょうど左右のゴールみたいに見えるのね(意図は全然違うかもしれないんですが笑)。

ポストカードでしょ。
love.fútbol Japanが完成させたグラウンドでの風景だそうです。写真素敵。日本にはない、いい色。
現地の子どもさんの笑顔最高。

そして何よりすごかったのが、お話ししている芝生の種!!!!!
「芝生の種を育てながら、これからもlove.fútbolと一緒に子どもたちのサッカーグラウンドづくりを進めていただけますと幸いです。」とお手紙には書いてありました。芝生の育て方の詳細解説付き。
世界の大事なところにちゃんとグラウンドができますように、という願いを込めて、そうでなくても狭い庭の端っこを耕して、種、まいてみました。
まだ数日。1週間〜3週間で芽が出てくるらしい。出るといいなー。
芝生、育てるのすごく難しそうだから、、うちの土を気に入ってくれてるといいんだけど。。

地区wを読んでいただいている方には知らせていますが、地区にやってきたマナが、サッカーの練習をするために地区wの一部を草取りして生やしたのが芝生でした。
サッカーでは、グラウンドに天然芝があるのが最高の状態とされています。
ちょっとお話の進行の都合で、マナが芝生を生やす場面を、実際には書かないままですっ飛ばしてしまっていたので、ずっと気になっていました。何とかいつか芝生、生やさなくちゃ。。
ただ、現実に、本当に、育てることができるようになるとは、まったく思っていなくて。
これも運命だなーと思って、とても感謝しています。

写真載せますね。

芝生に生えてもらうためのエリア、何もする前。
敷いてある小石の間からちょうど雑草が生え放題の時期でした笑。

土づくりが大切と書いてあったので、近所のホームセンターで、
肥料その他揃える。面白い形のはレーキ(熊手)です。

耕したあとー。深さ20センチくらい、いろいろ取り除きつつ耕す。


耕した翌日に種まきしました。
今日はそこから4日目かな。
2日前に梅雨に入ったので、毎日雨が降ってて、ほとんど水やりする必要がないですが、覗きに行っています。
まだ、何も起きてないです笑。



さて、次。2つ目の種は、「自給自足を超えた“共給共足”の社会づくりをめざす活動」growの「#おうちでたねまき」プロジェクトからいただいた、ルッコラの種。

大好きなIDEAS FOR GOODの記事から教えていただきました。

【記事】おうち時間で種まきしよう。楽しく生態系も豊かにするおすすめプロジェクト2選(IDEAS FOR GOOD)2020/06/03
https://ideasforgood.jp/2020/06/03/gardening/

なんでやってみようと思ったかという理由は、記事の中にもいっぱい書いてありますが、私にとって大事だったのは、その土地に合った野菜を繰り返し育てて採食するという考え方。
土地と人間の関係改良みたいなことです。
ご興味のある方は覗いていただくとして、気軽に挑戦できたのは、送料別だけど種が無料だったということかな?

あとは、ルッコラが美味しいから笑笑。
葉っぱなんだけど、ゴマの香りがするんですよね。
今、うちにはハーブと言ったら、バジルとシソしかいないので、ルッコラ大歓迎。

growのこのプロジェクトは、アプリと繋がっていて、育てるのだけでなく報告も楽しそうです。

growから届いた種と名刺!! QRコードですぐにアプリや説明にたどり着けます。

今、シソ(昨年落ちた種から生えてきた小さな苗たちと買ってきた大人の苗と)
が生えているプランターの半分くらいが空いていたので、そこに種まきしました。


繊細な時期に写真撮ってごめんね。>芝生とルッコラ
元気で緑で会えるといいなー。





 2020.6.16

芽が出たー!!!
ほんとに出たー!!!

love.fútbol Japanから届いた芝生の種、発芽3日目。
上の記事を書いた翌日に、発芽しました!
ここからどうやってふかふかの芝生になるか、愛を持って観察中。

ルッコラも芽がちょびっと出はじめましたよ〜!





 2020.7.7

今日は七夕ですね! 皆さん大事な人には会えましたか?

my little gardenの経過報告です!
今日の写真はとりあえず芝生を。

love.fútbol Japanから届いた芝生の種、発芽3週間くらい。
グッズを送っていただいてから約1カ月経ちました。
だいぶたくさん増えてきたと思うんですけど!
ですよね?



ルッコラの方も、順調に芽が出て育っているのですが。。
一つ問題が。

間引きしないといけないんですよ―!!!(良さそうな苗だけ残してあとは抜くこと)
雑草抜くだけでもけっこう心労なのに(心を鬼にして抜きましたよ!!)、
間引きは厳しいわ―。
ダメなのかなぁ、このままじゃ。。もうちょっと、考えます。





 2020.9.9

超お久しぶりになってしまいました。
だいぶ地区から離れたところにいました。
でも、家の庭の植物たちは概ね元気です。

ということで、my little gardenの経過報告。
まずは芝生。お元気です。
一つの根元から、だいぶ生える本数が増えてきました。
芝生らしくなるまで、もう少しかかりそう。

けっこうすぐ伸びちゃうので、
仰せのとおり3センチほどの長さに揃えながらやっています。
今回の写真は、揃える前の伸び放題のとき笑。



さて、ルッコラなんですが、結局、間引きができず、そのまま適当に生やしていたところ、小さなものでしたがルッコラ的な葉っぱ(写真にあるようなウネウネの)が生えてきました。
5〜6回収穫できましたのですが、その後の猛暑にやられたか、枯れるというよりいなくなってしまいました。。
実は一緒のプランターにいたシソが突然枯れてしまったので、相性が悪かったのかも?
あるいは、この暑さだったので、もっともっとお水や肥料をやらないといけなかったのかもしれません。
ごめんね。。
収穫できたルッコラは、
ごまの味がしてとっても美味しかったです!
ご馳走さまでした。



そして今日は、昨年の秋にうちに来た、イチジクのブリジャソットグリースのご紹介。
好きな作家さんの絵を観るために訪れたギャラリーで、トークショーのときに軽いお食事をいただいたんですが、そのときに出てきたイチジクがとてもとても美味しかった!(そのときの模様は、こちらに書きました)
トークの合間に、目の前のバーカウンターにいらした店主の方とお話をしていて、このイチジクが、店主の方がこだわって選ばれた、「ブリジャソットグリース」という品種だということを教えていただいたんです(名前が覚えられなくてメモった笑)。

イチジク大好きな私は、試しに検索をかけてみたら、あら、苗木が売ってる!!
それほど高くもない!!
思わず購入してしまいました。
高さ1メートルくらいの、一枚の葉っぱもない状態。

それ以来、ブリちゃんはずっとベランダの端でじっとしていたんですが、今年になって、もりもり葉っぱを出してきて、あるとき、茎の根元に小さなお豆みたいなのがくっついているのに気づきました。
はてな?
花芽?
そう思って大事にしてきて、ちょっとずつちょっとずつ大きくなってきたら、なんとー、実だった!
それも苗木全体で4つもついていて。

実がなるのは2年目以降と伺っていたので、想像もしておらず。
無事に4つも育つのか、はらはらしながら見守っていました。
そうしたら、数日前からそのうちの一つが色づきはじめました。
色づいてきた。
お隣がまだ緑色の状態です。

ブリジャソットグリースの実の形が分からず、検索してみると、あら、今の形でもう完成形みたい。
そして今朝確認したら、実の一部が少し傷みはじめたようだったので、まだそれほど大きくはなかったのですが、指で実を持って揺らしてみたら、あっけなく茎から外れました。
実をもいでみました。
あ、何かを横において大きさ比べればよかった。

洗って、半分に割ってみると、よくできてる! 美味しそう〜!!!
半分に割ってみたところ。
内側は縁近くまでぎっしりよく実っていました。


味見。
きゃー!!
これですよ、これ!
日本産のイチジクとは全然味が違うんです。甘みもたっぷりでとても良い出来でした。
嬉しいなぁ。

あとの3つも無事に育ってくれることを祈ります。
ブリちゃん美味しいのありがと♪





【地区g〜相模原〜】

 2020.1.15

さて。
どこから話していって、どこへたどり着くか、今はまだ分からないのだけれど。

神奈川県に相模原という土地があります。
この相模原にあるJR相模原駅前の土地に、多機能複合型スタジアム案が出ていることを聞いたのは、ノジマステラ神奈川相模原という、女子サッカーチームのアピールによるものでした。

女子サッカーの方のことを書いているサイトに載せた文章へのリンクをここに載せておきます。

【記事】【メモ@今日失踪?うん失踪。からのリンク】(なでしこ日和)2019/11/30
https://nadeshikobiyori.mymula.jp/memo_lino_link.html#stadium20191130


現在、相模原市をホームタウンとする4つのスポーツチーム(上記女子サッカーのノジマステラ神奈川相模原、男子サッカーのSC相模原、男子ラグビーの三菱重工相模原ダイナボアーズ、男子アメリカンフットボールのノジマ相模原ライズ)が、SC相模原の主導で、このスタジアム案に関する署名を進めている最中です。



昨年の12月に、ステラ(ノジマステラ神奈川相模原のチームのことを、私は親しみを込めてステラと呼んでいます)の選手たちも加わって、相模原駅前で署名活動をするということで、初めて、JR相模原駅に行ってみました。
ステラの本拠地とは少し違う場所にあって、相模大野駅には何度も行っているのですが、この駅には来たことがありませんでした。
この日は、署名はすでにオンラインで済ませていたので(重複署名は無効になってしまうので)、主に、この、スタジアムが建設できるほどの、突然現れた?空白の場所がどういうところなのか、確かめに行こうと思ったのです。

そこで知った意外な事実。
(お隣の東京に人生まるっと住んでいる私がまるで無関心だったのはどうなのかと思いますが、20年眠っていたので、ご容赦)

その空白の土地というのは、近接する巨大な米軍基地から、一部が返還されたものなのでした。

米軍基地っすか!
わお。

その場でスマホのグーグルマップで確認すると、相模原駅を出てすぐ近くに米軍基地の入口もあるようだったので、初めて近寄ってみました。
何か、中に怖い犬がいるので勝手に入らないでください、みたいな看板がありました。

相模原市が詳細を記述してくれているので、そこのページをあげます。

【記事】相模総合補給廠(相模原市・基地問題)
http://www.city.sagamihara.kanagawa.jp/shisei/beigun_kichi/1005626.html


正確には、「相模総合補給廠」と言って、中の文字にもある通り、米軍が動くときの「補給」を主な役割とした土地、とのことだそうです。

「戦前、旧日本陸軍相模陸軍造兵廠として使用されていた施設で、昭和24年に米軍に接収された後は、朝鮮戦争やベトナム戦争に伴い、在日米陸軍の主要な補給基地としての性格を持つようになり、現在に至っています。」(相模原市)

ふむふむ。
さらに読むと。

「補給基地として、巨大な倉庫群や修理工場が立ち並ぶほか、第35戦闘維持支援大隊の司令部、野球場、ボウリング場、サッカー場などのスポーツ施設が設置されています。造兵廠時代に建てられた相模神社は、神社公園(シュラインパーク)として整備されています。」(相模原市)

え?!! ちょっと待って、敷地の中に、野球場にボウリング場、サッカー場まであるの? そんな広いの? しかも中に神社もあるの??
想像とはかなり違う印象。。いやいやいや、そうですかー。。



上であげたリンク内にも書きましたが、建設しようとしているスタジアムはかなり魅力的な案です。
海外でもそうした街づくりと一体になったスタジアム建設が進んでおり、あ、せっかくだからJリーグが作ってSC相模原がアレンジしたらしい、そうした海外の施設の紹介動画をはっておきましょうね。
海外の名だたる都市に、そうしたスタジアムが組み込まれている実例があることは、これからの日本でも実現するかもしれない、スポーツを取り入れたより良い都市づくりが想像され、夢を感じます。

【動画】【SC相模原】Jリーグ 欧州スタジアム視察2017 Short version(SC相模原 Official Channel)2019/11/25



ええと、私は、このとき、米軍基地と聞いてすぐに沖縄のことが思い浮かび、基地及びその返還を巡って、様々な問題が起きていることも思い出しました。
調べてみると、この相模原、及び神奈川県内にはかなり多くの、そして広大な米軍基地が存在するんですね。あまり問題が起こったというニュースを聞かないのは、地元の方々と基地の方々の間において、共生を進めてきたからなのでしょう。

私のような外部の人間、というか、日本人の一人からすると、やはり日本の土地には日本人が住んでいくのがいいかなぁと思ったりします。
少なくとも、軍という、戦争を前提にした存在のための施設であってほしくないかなぁと。
アメリカという国が軍を持つのは、私たち外国の人間が直接関われることではないので、百歩譲って了解するとして、戦争をしないと決めた日本にあからさまな軍用地があることは、なかなかに矛盾しているような。。
え? 戦争しないって、とりあえずって意味になってきちゃってるんですか?
いやいやいや。。

そんなことを考えながら、自分なりに、今どうなってるのかな、どうしていったらいいのかな、と思うようになりました。

ちょっとここで、私の中でも次に行くまでに少し時間がかかったので、いったん記事を切りますね。

次に続く。





 2020.1.26

それでー。
上であげた、相模原市の相模総合補給廠の内容をよく見たら、冒頭に、
「戦前、旧日本陸軍相模陸軍造兵廠として使用されていた施設で、昭和24年に米軍に接収された」 って書いてあったんですよね。

ああ、もともとは、日本の陸軍の土地だったんだなって。
日本が戦争に強かった時代には、きっと盛り上がっていたでしょうね〜。
昭和24年に接収されていますから、第2次世界対戦の敗戦によって、そういう処置になったのでしょう。
日本軍の土地だった場所がすべて米軍に置き換わっているわけではなかったよな?と思いましたが、相模原はとりあえずそういう場所だったんだなー。

その後、何となくぼんやりしている間に、こんなナイス・タイミングな連載を見つけました。
相模原町田経済新聞(数年前は町田経済新聞だった気がします)という、みんなの経済新聞ネットワークのうちの一つでした。
一昨年2018年の12月にスタート。

この連載は、「戦後の復興期に米軍基地のそばで育った」方が書いてくださった、昔の相模原のことを知るのに、とても貴重な記事たちです。
率直に分かりやすく書いてくださっていて、相模原人じゃない私にも楽しく読めました。
ちなみに、著者、相模原で幼少期を過ごし、今も相模原市在住の鈴木聡さんの座右の銘は、「貧乏暇なし生涯短し人生沢山笑うが勝ち・・!!」。笑。ほんとですよ、人生は笑うが勝ちです。

話がそれました。
タイトルには「アメリカ」が入っていますが、接収より以前に、相模原の広大な平地林や原野を日本軍が開拓し、いわゆる軍用のもののほか、教育機関や病院など、各種施設を取り揃えた軍都としてできあがった頃のことから書かれています。
敗戦当時の日本とアメリカとでは、文化レベル、、いや文明レベルと言えるほど大きな差がありましたから(正直、暗号すらすべて解読された状態で戦っているとなれば、敗戦は当然の成り行きだったかと想像します)、このアメリカ文化の流入は、多大な恩恵ももたらしたはずです。
著者の方と年齢のお近い方は、懐かしい内容もあるかもしれないですね!

新聞の中では、バラバラに掲載されているので、ここでまとめてリンクに出してみますね。ちなみに特集は継続中です! 先も楽しみ♪
一本はそれほど長くないので、お気軽に。
この後で、1本ずつの短い感想も書こうと思います。

【特集】路向うのアメリカ
【記事】#1 「基地の街」誕生(相模原町田経済新聞)2018/12/05
https://machida.keizai.biz/column/123/
【記事】#2 学び舎の追憶(相模原町田経済新聞)2019/01/08
https://machida.keizai.biz/column/129/
【記事】#3 アメリカン・グラフティ(相模原町田経済新聞)2019/02/28
https://machida.keizai.biz/column/136/
【記事】#4 アメリカンドリーム(相模原町田経済新聞)2019/05/29
https://machida.keizai.biz/column/146/
【記事】#5 物質大国&消費大国 アメリカ(相模原町田経済新聞)2019/07/05
https://machida.keizai.biz/column/151/
【記事】#6 兵器工場のある街(相模原町田経済新聞)2019/07/23
https://machida.keizai.biz/column/153/
【記事】#7 相模原医療センターの怪(相模原町田経済新聞)2019/09/12
https://machida.keizai.biz/column/159/
【記事】#8 路向こうの平和(相模原町田経済新聞)2019/10/22
https://machida.keizai.biz/column/165/
【記事】#9 四角いピザの系譜(相模原町田経済新聞)2019/12/07
https://machida.keizai.biz/column/172/
【記事】#10 基地の子どもたち(相模原町田経済新聞)2020/01/19
https://machida.keizai.biz/column/178/

連載は、ちなみにまだまだ継続中です!
人気があったらもっといろいろ書いていただけるのかも。。

では、以下、感想〜。
#1 私、お隣の東京で生まれ育ちながら全然知らなかったんですが、神奈川県って実はとても米軍基地のエリアが広いところだったんですね。米軍基地のことでは度々話題になる沖縄についで全国2位とか(記事中では沖縄返還前の話だそうだから今は、どうなっているのか)なんかすごい。そもそも日本の軍が使用していた土地のようですが、「海の拠点は横須賀地域、空の拠点は立川地域、陸の拠点は相模原地域」っていうことらしい。この時点でも、横須賀も相模原も神奈川県ですものね。
#2 米軍が接収したのは土地だけでなく建物もだそうで、それはもう堅固なものを建てたらしい。当時の米軍基地周辺の繁華街はとても派手というか、にぎやかだったんですね。戦争のいろいろなダメージを吹き飛ばしたかったのかな。
#3 車もデザインが良かったようですね。今ならデザインと言えば日本の方が上のイメージがありますが、ここに書かれている当時のアメリカの派手な感じというのは、あの頃のアメリカならではな印象です。
#4 当時の相模原で、著者がお住まいだったお家のお庭の果樹の様子、飼われていた犬のことなどが書かれています。確かに昔の犬って外にいるのが一般的だったし、すごい、いつもいつも怖い犬とかいたなぁ〜。なんであんなに怒ってたんだろうね。
#5 よくお金を使い、ものも溢れかえっていたアメリカ。著者は、お父さまがアメリカでお仕事をしていらしたような少し特別なお家で(でももしかすると相模原にお住いの方々はそういう傾向にあったのかもしれませんね)、カルチャーギャップに衝撃を受けておられたようです。
先のことを考えて、いま話しておくと、私の家系も、若干そうしたアメリカンカルチャーが入り込んだ家でした。祖母(とっくに故人)が、大学卒業後に日本を飛び出して単独でハワイに留学してしまい笑、現地で、沖縄から幼い頃に移民してハワイに暮らしていた祖父と出会って、祖母の帰国後、祖父が追いかけてきて日本で結婚しています(って書くと、なんか二人とも流浪の民みたいだな〜)。まぁそんなことで、祖母は、当時最先端の文化=アメリカへの憧れがとても強い人でした。祖母とは生まれて以来、長く一緒に暮らしていたので、私はその反動で?日本からほぼ出たことがなく、英語も話せません(全然自慢にならない)。
#6 そんなふうにして欧米に憧れ、高度成長時代に向けて平和になっていった日本ですが、基地の中では、アメリカが戦争を続けており、まだ殺伐とした雰囲気だったようです。そうだよなぁ、、ベトナム戦争は聞くだに過酷に感じられました。
アメリカのバックアップに回っていた日本には、戦争特需(戦争によって景気が良くなること)ももたらされていたようです。
#7 そのベトナム戦争で負傷したアメリカ兵の多くも、相模原の病院に運ばれてきていたそうです。『BANANA FISH』(吉田秋生作・小学館)という、ベトナム戦争を背景にしたアメリカが舞台の漫画があるのですが(一昨年フジテレビのノイタミナの枠でアニメ化もされていたようです。漫画が出ていたのは1980年〜90年代ですが、今でもきっと健在なテーマなんだな)、その苛烈さや戦争が抱える闇の深刻さ、危機感で緊張しつづけた生活というのは、ちょっと、平和ボケしていたような私にとっては信じられない世界でした。その中でも人は生きて、人を信頼する。今でも、その漫画は私にとって大切な、、遺伝子に刻まれた記憶のようなものかもしれないですね。
#8 この回で、とても印象的な言葉が書かれていたので、引用させていただきます。

自家用車やエアコンにステレオ、なんでも持っている物資豊かな超大国アメリカですが、彼らには日本が既に持っていた「平和」というたった二文字の世界だけは持っていませんでした。彼らにとって「平和」とははるか彼方、いまだに手が届かないユートピアなのかも知れません。

平和というものが、世界にとって決して当たり前ではないことを、改めて感じる言葉です。日本も、自殺率や暴力などの点で、心の平和が保たれているとは言い難い状態にありますが、自分自身も含め、人が直接人の身体を傷つける状態というのは、どこまで行けば穏やかになるのだろうと考えます。力を解放する場所を、間違っているだけなんじゃないのか。って、すみません、ムキになっちゃった。
#9 この回は食べ物のお話。アメリカから日本にもたらされた食べ物もたくさんありますね! 相武台前駅の駅前に佐世保バーガー屋さんがあって、お昼を食べたくて行ってみたんですけれど、ちゃんと長崎の佐世保に米海軍がもたらした食べ物だって書いてありました。ハンバーガーなんて、もう日本のそこいら中にあって、完全に日常だよ笑。
著者の方が採り上げているのはピザ! えー、ピザってイタリアからじゃなかったのか。四角いピザ。食べたことあります? 相模原で食べられるらしい。
#10 著者のお父さまがアメリカ関係の仕事をなさっていたことは上で触れましたが、基地のご家族とも交流があったそうです。食べていたものもオモチャもびっくりするほど甘くて面白かったに違いなく、当時は本当に素晴らしいものだったんでしょうね。すごい甘かった記憶があります、アメリカの人たちが家に持ってきたお菓子とか。

以上、思ったより長くなっちゃった、言いたい放題な感想でした!
連載、続きの記事が出たら、ここに書き足すかなぁ。。ま、また考えます。

次は何が書けるだろうかな。
あ、なんかそうだ、基地のことを、たまたま訪れた相模原にあるギャラリーでのトークショーの中で伺ったので、そんな話でも?